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Wat Ratchaburana(ワット・ラチャブラーナ) วัดราชบูรณะ ①       【アユタヤ】

The Kingdom of Thailand

アユタヤ


1351年、ウートン王が創建、1767年に滅亡したアユタヤ朝の遺跡跡。
最盛期には19万人もの人口があったという。。。

水の都でもあるこの都は、水上交易の要衝として発展し、17世紀には中国、日本、遠くはヨーロッパとまで交易が持たれ、莫大な富がもたらされた。
『アユタヤ』という名前はサンスクリット語で『平和の都』という意味である。

カンボジアのクメール朝に倣って王権を神格化して専制支配を敷いたアユタヤ朝は内乱が抑制され内政も安定、北西部のスコタイ朝やアンコール朝まで勢力を広げるが、1767年、ビルマ軍の侵略により都城は崩壊、放棄される。




自転車を借りて遺跡を周ります。

ホテル前のナレースワン通りを真っ直ぐ西へ向かうと遺跡が見えてきます。



まずはこちら、

Wat Ratchaburana(ワット・ラチャブラーナ) วัดราชบูรณะ


1424年、8代目・チャオサームプラヤー王が、王位争奪の戦いで共倒れした二人の兄の火葬を行う時に建立されたとされている。
二人はワット・マハータートとこの寺院の間にあるパー・ターン橋の袂で、象に乗って対決(ユッタハッティー)した。
1958年の修復の際、メインのプラーンの地下室から様々な宝物が発見されており、これらの品はチャオ・サン・プラヤー博物館に展示されている。


A. Muang, Phra Nakhon Si Ayutthaya
อ.เมือง จ.พระนครศรีอยุธยา
50THB(2010年9月現在)
8:00~18:00、ライトアップ19:00~21:00(オープン時間、ライトアップに関してはご確認を)

の入口の左側にチケットの窓口がありました。



WIHAN LUANG ウィハーン (本堂) < Vihara >

















立派な飾りの(痕跡の)ある入口から入ります。

向こう側に大きなプラーンの見えるホールになっています。

壁に開いた穴からはチェディが見える。。。

ここでちょこっと説明。

チェディ・・・ストゥーパに起源をもつ仏塔
(ストゥーパ・・・インドに起源を持つ仏塔、サンスクリット語)
仏塔は仏舎利を納める塔で、元々のインドではお椀を伏せたような形の墓が起源のようです。
インドではストゥーパ、スリランカではダーガバ、タイではチェディ、ビルマではパゴダ、、、などと呼び方が違います。
ややこしいですね(^^;)
スリランカの特徴的なダーガバは去年行った写真があるのでこちらで見られます。
【スリランカ】<ポロンナルワ>⑩ランコトゥ・ヴィハーラ Rankot Vihara



その中でもクメール様式のトウモロコシ型の塔をプラーンと呼ぶそうです。

プラーン・・・クメール建築のプラサート(トウモロコシ型の塔)
(プラサートと呼ばれるクメールの塔堂(祀堂)がタイでプラーンと呼ばれているようです)
主にチェディ、と、プラーン、という2種類の塔があると思えばいいと思います(たぶん)
チェディの中にもスリランカ様式、ミャンマー様式、スコータイ様式、タイ様式、、、などなどなどなど色々あるようですが、もう分かりません・・・。



ウィハーンを抜けた所にはビルマ軍の侵略により頭部を破壊された像や、台座だけになってしまった物の痕跡。





では、主塔(プラーン)の方へ行ってみましょう。



もう、歴史もややこしいし、建築様式も細かくて
間違えてる事もあるかと思いますけど、
笑って許してやってください。。。(T-T)


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