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WAT YAI CHAIMONGKHOL(ワット ヤイ チャイモンコン)วัดใหญ่ชัยมงคล①   【アユタヤ】

The Kingdom of Thailand

WAT YAI CHAIMONGKHOL(ワット ヤイ チャイモンコン)วัดใหญ่ชัยมงคล


1357年、アユタヤ初代ウートン王がセイロン(現・スリランカ)に留学中の修行僧の瞑想のために建てた寺院。
別名、『ワット・プラ・チャオプラヤー・タイ』
高さ72mもの仏塔は、1592年、19代・ナレースエン王が象にまたがり一騎打ちでビルマの王子を敗った戦勝を記念して建てたものです。


当時、ビルマが先に建てたワット・プーカオ・トンのパゴダに対抗して建てたものですが、わずかに高さは及びませんでした。

【 ワット・プー・カオ・トン 】
1569年、ビルマのバインナウン王が3度目の戦いでアユタヤを占領した時に建てた高さ80mの寺院。
先に書いたナレースエン王がビルマを破った戦いの後、タイ様式に改めました。
現在見られる塔は1754年に造られたものです。


塔の周りにはぐるりと座像が並んでいます。
仏像がまとっている黄衣は敬虔な仏教徒によって寄進されたものです。


ずらりと並ぶ像は初代王の時の物だそうです。
これを見たくてこのお寺を見に行きました。



チェディの裏側にはお釈迦様が弟子たちに語りかける像がありました。

これは新しい物のようですね。


このチェディは登ることができます。

登った所は円形の部屋のようになっています。
【天井】

ぐるりと座像が置かれており、座像にはたくさんの金箔が貼られてました。

真ん中には井戸(?)があり、たくさんの人が金箔をそこに落としていました。
たぶん、真ん中の部分に落ちれば願いが叶う、とかそういう事なんでしょうね。


チェディの上から下を眺めたところ。

少しだけ歴史の話を。。。

<講談社;世界遺産より抜粋>
4世紀頃までに東南アジアに伝えられた仏教はアユタヤ朝でも篤く信仰され、歴代33人の王は競うように寺院を建てていきました。
王都であったアユタヤの寺院は化粧漆喰に金の装飾、仏像も全て黄金製もしくは金箔貼りだったそうです。

↑前述のビルマとの戦いで3度目にアユタヤは屈服、壮麗な寺院はビルマによって破壊されました。
当時15万人も居たというアユタヤの住人も多くが連れ去られ1万人にまで激減しました。
属国となったアユタヤ朝はビルマの傀儡の王が即位しました。

傀儡の王の長男が前述のワット・ヤイ・チャイモンコンの仏塔を建てたナレースエンで、9歳で人質としてビルマに送られ、奴婢という屈辱的な扱いを受けながらも、密かにビルマ軍の戦法、戦術を学び、15歳で帰国を許された時にはビルマに服従の姿勢を見せながらも独立の機会を待ち続けたのだそうです。

1584年にビルマに内紛が起こった機を見てナレースエンはアユタヤの独立を宣言、度々のビルマとの攻防でビルマを撃退。
同じく前述の一騎打ちでビルマ王子を破り、その戦勝記念としてワット・ヤイ・チャイモンコンの仏塔を建てたのだそうです。

ナレースエン王は戦死する1605年までビルマ、カンボジアにも遠征し、アユタヤ王朝の発展の基礎を築いたということです。


次のページで、寺院の他の場所も紹介します。



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