byOSO001

淡水紅毛城、その①

2011年4月2日~5日、台湾


松山機場からタクシーでサクっと台北車站前のいつもの宿に到着。
落ち着いたところでlemonadeさんに連絡して待ち合わせ、車で迎えに来てくれました。

いつも車を出していただきありがとうございます~

で、向かった先は淡水!
淡水は2008年に行ったっきり、しかも夜にちょこっとだけ。
夕陽で有名なポイントなのに、陽が暮れてから行ってどうするねん!って事で今回リベンジです。

それにしても道路はすんごい渋滞

2日、3日の土日に加えて児童節、清明節が重なって、台湾もこの時期4連休だったんだって。
知らなかったです。。。

想定外に時間は掛かったものの、淡水に到着。
lemoさんが「車をパーキングに置いてくるから先に行ってて~!」ってんで、先に車を降りました。
まず向かったのはこちら



img_1 (1) img_2_201903212238161b9.jpg 

門をくぐるとこんな感じ。
受付のような建物がありますが、無料で入れました。
以前は有料だったんですが、今は無料で開放されているんだって。
淡水紅毛城


紅毛城(こうもうじょう)は古くはセント・ドミニカ城(聖多明哥城)、アントニー要塞(安東尼堡)と称され
台湾台北県淡水鎮に残る古跡。
1628年、当時台湾北部を拠点としていたスペイン人により建設され、
スペイン勢力撤退後はオランダ人により1644年に再建された。
1867年以降はイギリス政府に租借され、当時のイギリス領事館が業務を開始し、
それは1980年に中華民国政府に所有権が移管されるまで続いた。
紅毛城は台湾に現存する最古の建築であると同時に、内政部により国家一級古跡に指定されている。
Wikipediaより引用


【台湾のベニスと呼ばれる淡水の紅毛城】
十七世紀初め、台湾に目をつけたスペイン人が淡水に侵入し、淡水河口の丘の上に、サントドミンゴ城を建設した。
スペイン人を撃退したオランダ人は、その城跡により堅固な城砦を築いた。
当時の台湾住民は西洋人を紅毛と称したことから紅毛城と呼ばれた。

オランダ時代の紅毛城は光彩を放ったが、明代に至ると淡水は流刑地となり、紅毛城が 廃棄された。
清大初期、台湾は正式に清朝の版図に入り、紅毛城は再度淡水河口の防衛基地となる。
清末、イギリスやフランとの戦いに敗れて、淡水は開港され、イギリス人が紅毛城を英国領事館として使用するようになりました。
主城東側に領事官邸が建てられ、紅毛城は各国人士交流の場となる。
紅毛城はもともと灰色の建築だったが、英国人によって赤色に染められる。
紅毛城の「紅」はもともと建物の色とは関係がない。
台湾観光comより引用

かつてのチケットブース(?)の横の坂道を登って行きます。


坂を登ると淡水の景色が一望です!
カメラポイントのようですので、ここから景色を撮ってみましょうか。

うーん、手前の木がちょっと邪魔っす。。。

でもいい眺めだね


そして、その反対側には紅毛城。

早速入ってみましょう~。



つづく。。。




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