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堺・旧市内(その1)【堺・街あるき】

最近は良くご近所散歩しています。
前回は『伸庵』という茶室を紹介しましたが、今回は旧市内を歩いて来ました。

旧市内と呼ばれるエリアは意外に小さく、大雑把にこんな感じ
(青い○で囲んだ辺り)


(すみません、大雑把過ぎですけど…)

狭いとはいえ歩くとなると結構広い(?)ので、少しずつ歩ければと思ってます。



本日の始点はこちら。

旧紀州街道と呼ばれる通りで、かつての大坂(大阪)と和歌山を結ぶ紀州街道であります。

昭和の初期に恵美須町(大阪市側)と浜寺公園(堺市側)を結ぶ阪堺電車(チンチン電車、現・阪堺電気軌道)が開通したときに拡張された通りです。
戦時中はこの辺り一体も空襲に遭いました、その後、現在の幅50メートルの広い道路になったのだそうです。



道のド真ん中にチン電の線路があります。(チン電=チンチン電車、阪堺電気軌道)←地元民は『チン電』と呼ぶ

季節によっては線路の両側に綺麗な花などが植えられてるんですけど、ちょうど今は何も無い時期のようで



↑↑の写真はチン電の『寺地町(でらじちょう)』という駅、そこから北へ歩いた所でちょっと目を引く建物を発見。

ん?
何か変じゃない???
建物の真ん中部分をちょっとUPにします。

えらい無理矢理な造りになってません?

母に聞くと(今日は母と一緒に散歩、母は旧市内の出身なので)
「ここ、お蕎麦屋さんやで~」って。。。

あ、ホンマ!看板があります。

『ちく満(ちくま)』と言う1695年創業の老舗のお蕎麦屋さんなのだそうです。

大阪府堺市堺区宿院町西1-1-16
072-232-0093
.営業時間 10:30~21:00
ランチ営業、日曜営業
定休日;月曜日(祝日の場合営業、翌日休)
表の通りから裏(と言うか、店の表側)へ回ってみます。

ちょっと(この時は)残念な紙が貼ってありますけど、老舗らしい門構えです。




↑のお蕎麦屋さんの表門からほんの少し北へ歩くと、、、
こんな物がありました。

ちょっと難しいので訳した物が横にあります。

そう、ここは


千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鷗に師事しわび茶を大成させました。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたといいます。井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。
堺観光ガイド『千利休屋敷跡』より

あーん

でも、鍵が掛かってて中にはいれなーい!

仕方ないので外から写真を。。。


実は母もワタシも「大体この辺りにある」とは知ってたものの実際に来て見たのは初めて。
ずーっと住んでる街なのにねぇ(^^;)

なので(?)、生まれ育った街を、時間が掛かってもいいのでたくさん歩いて見て記録に残しておきたいな、、、と思ったのが先日。
取るに足らない事ながら、続けていこうと思ったら結構大変かなぁ、、、と。
こないだから少しずつ周ってるのですが、思ったより時間も手間も掛かりそうです。

記録は別に取って書いているのですが、こちらのブログでも時折こうやって紹介していければと思ってます。
(別に書いてる記録はまだまだストックが少ないので公開出来る段階ではないのですが…)



まだまだ暑いのでいっぺんに沢山は歩けないのですが、もうちょっと涼しくなったら自転車でも周れるので、旧市内を中心に今まで気付かなかった景色を見ていきたいと思います。
観光ガイドはいくらでも出てるので、街歩き目線でやっていければな~、、、と。



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