byOSO001

南宗寺② 【堺・街あるき】

つづきです。

南宗寺


堺市堺区南旅篭町東3丁-1-2
072-232-1654

前回最後に通った回廊の階段を下りた所にはこんな物がありました。

オリジナルは空襲で失われてしまったので再建されたものですが、彫られてある文字にご注目~!
徳川家康臣徳川家初代家老 三木仁兵衛之次 三木啓次郎之建とあります。

再建されたのは昭和42年、三木啓次郎氏というのは水戸徳川家の家老・三木仁兵衛之次の子孫に当たる人物。
左側にある名前は再建時に寄付(寄進)した人などの名前。
「おぉ、松下幸之助の名前も!」
少し前に某国営放送で『神様の女房』というドラマがされていましたが、その中に松下電器として松下氏が独立した当初、二股ソケットなるものを売り出したのですがさっぱり売れず苦労した、、、というエピソードがありました。(←見てた)
松下氏が経済的に困窮していた時に援助の手を差し伸べたのが三木啓次郎氏。
お互いに当時の縁、恩義を忘れることなく、このような碑の再建にも援助を惜しまなかったのだそうです。
(有名なところではテレビの『水戸黄門』の番組のスポンサーは一社独占でずっとナショナルだった!とかね)

正面に回ってみます。

外側を囲ってる部分は新しいものですけどね。。。

囲いが邪魔で字が見づらいですが『徳川家康之墓』とあります。

当初は文政年間に『東照宮』として建築されたものであったが空襲により焼失、『東照宮跡碑』として『徳川家康の墓』が建立されました。



すみません、説明っぽくなってしまいました。
歴史モノって端折れないのがツライ
(端折るとワケ分かんなくなるもんね…)



更に墓(碑)の向い側にあるのがこちら『唐門』

国指定重要文化財だそうです。

↑に書きました『東照宮』は焼失したのですが、こちらの門だけは戦禍を免れ残ったのだそうです。
だから江戸時代当時のままなんだって~!

土壁に瓦を埋め込んだ作りになったこの壁に乗っかってるのは、、、
徳川・葵の御紋入りの瓦!



ホントに徳川家康のお墓なの~?
ちょっとホントっぽくなってきた?などと思いつつ元の回廊の方へ戻ります。

見えてるのは『開山堂跡』、跡!なので何も無いです。

回廊の先にあるのは『方丈(本堂)』、、、なんだけど、ちょうど某デパートの催しだか何だかで人がいっぱいで写せなかったわ。

こういう催しにありがちな長々としたお偉いさんの挨拶のせいもあり、せっかく観光に来てる人が本堂に飾られてる限定公開の『澤庵(沢庵和尚様)』の頂相(禅宗の僧侶の肖像画)が見えません。
まったく!空気読め!とはこの事だわ~

因みに歴史でもその名を良く聞く『澤庵(沢庵・たくあん)和尚』はこちらの住職でもありました。



方丈が見られないのでその前面にある庭をどうぞ。

『石庭(枯山水)』です。

古田織部の作と謂われています。



庭を横切って方丈の反対側へ。

おや、11月だというのに雛人形?

どうやら本堂内で行われている某デパートの催しの展示の一部のようで。。。

雛人形のある辺りから更に先を見た景色。

左側の庭部分は『曹渓の庭』、手前にあるのは『水琴窟』



方丈(本堂)から続きになっている棟は茶室『実相庵』

利休好みの茶室であると言われているこの茶室は、1876年南宗寺で博覧会が開催された際に塩穴寺にあった物が移築されました。
1945年の空襲で焼失、現在あるのは1963年再建された物です。

手前の木戸がにじり口、かなり小さいです。
おデブなワタシだと入れないかもしれない
・・・ってな大きさ。
中には入れませんが、普段は閉まっている窓がこの時は開いていたので外から撮影。

『曹渓の庭』に入り込んで撮影、右側が方丈(本堂)、左側が茶室。

庭の片隅には『津田一門の墓』

前記事にもチラッと出て来た津田家(『津田家の塔』で出て来た)は、利休と共に茶湯の天下三宗匠と称された津田宗及の父親である堺の豪商・津田宗達の一族のお墓。(宗達自身も茶人である)
、、、が、墓の前には『半井(なからい)卜養(ぼくよう)家墓碑』とあります。
津田家と半井家は津田家の娘が半井家に嫁いだことにより縁者となっている。
半井家は江戸時代からの医者の家系。



庭から見た茶室。。。





やばい、、、終わらない

また続いてしまった( ̄▽ ̄;)
2回くらいで終わらせるつもりだったのに~。
まだバンコク編も残ってるのにどうすんねん!と言いつつ、仕方ないのでこのままキリのいい所まで続けます。。。



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