byOSO001

2012年1月11日のウォーキング

相変わらずのぼちぼち更新の街あるきコーナー(?)ですが、新たに毎日歩きの記録なんぞをつけてみようかと~。

こっちはかなり気まぐれ更新になりそうな気配。。。
ババァになってきて体力の低下が顕著ですので少しずつウォーキングなんぞを始めているのですが、単に歩くだけでは続かないと思い景色を眺めつつ歩くことにしました。

記録を付けて三日坊主を防ごうという企みもあるんですけどね( ̄▽ ̄;)
(↑追い詰めないとやらないタイプ)



さて、今日のウォーキング。
東京では皇居の周りを走るジョギングなどが盛んなようですが、こちらでは皇居の代わりに『とりあえず御陵さん』ってのがあります。
御陵さん=百舌鳥古墳群(仁徳陵や履中陵など)の古墳の周りを歩いたりジョギングしたりするのが手軽なのですわ。

写真左側は履中陵、今は冬で寒々しい景色ですが桜並木になっていますので春になれば花見の人で賑わいます。

仁徳陵だと結構な大きさなのですが、履中陵だとちょっと小さい。
、、、ので、歩き足りない時は隣接する公園へ突入!
仁徳陵と履中陵の間には『大仙公園』という(けっこう)デカイ公園がありますので~。
以前に紹介した『茶室・伸庵』のある公園です。

公園周りも遊歩道になってるしね。

公園の周辺にこんなのがあったのは初めて気付いたわ。
姉妹都市や友好都市のモニュメントです。
【種子島】


【連雲港】



他にも幾つかありました。



公園側から履中陵の後円部分。

公園側を見ると、こんなのが見えました。

「こんなんあったっけ?」と近づいてみることに。

名前などの看板が見当たらなかったので帰ってから調べましたところ、
【七観山古墳】、と判明。


履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)の後円部北側にあった円墳で、その陪塚と考えられます。
墳丘は径約50m、高さ約8mの二段築成で周濠もありました。葺石と埴輪があり、墳頂部には鰭付円筒埴輪をならべた埴輪列がめぐっていたようです。
家・短甲・蓋(きぬがさ)・靱などの形象埴輪も出土しています。
出土した遺物は鉄製甲冑・鉄製素環頭太刀・鉄刀・蛇行状鉄剣・鉄剣・鉄鉾・鉄鏃・鉄斧・手斧・やりがんな・金銅製帯金具・馬具など多種多様で、ほかに滑石製勾玉や剣形鉄製品が採集されています。また衝角付冑7鉢、短甲6領以上、鉄刀130口前後、鉄鏃百数十本など多量の鉄製武器・武具類が特徴です。
これらの出土品は履中天皇陵古墳の年代を考える重要な資料ともなっています。
堺観光ガイドより

土取りで消滅の可能性が高くなったため、大掛かりな発掘調査も大正2年(1913年)、昭和22年(1947年)、昭和27年(1952年)と3回に渡り行われました。
特に昭和27年の調査では、粘土槨(ねんどかく)など3つの主体部が確認されています。

壊されてしまった跡がこのような築山型の展望台(?)にされたようです。

昔、公園が今ほど整備されてなかった頃、土くれの古墳の残骸のような小山があったのを覚えてますが、いつの間にかこんな風に整備されてたんですねぇ。

登れるようなので階段を上がってみます。
今日は風が強かったので吹き飛ばされそうでした

けっこう見晴らしいいです。
<履中陵側>

<大仙公園遠景>



降りて反対側から撮影。



この辺り、まだまだ整備されてない『陪塚(ばいちょう・ばいづか)』らしき物がいっぱいあります。
土が盛り上がって木が茂っているただの小山に見えますが、おそらく陪塚なんでしょうね。。。





そうそう、今日のウォーキングではこんなのも見つけました。
でっけぇ~家~!

と思ったら、表札には、、、

シマノ記念館


とありました。

自転車部品や釣具の大手メーカー『シマノ』の創業者のお宅だそうで、非公開なので入ることはできません。
そういえばこの辺りって島野一族の大きな屋敷がいっぱいあるよなぁ~、と思ってたのですが記念館まであったのね。





今日のウォーキングはこのへんにて終了。
天気悪いなぁ、明日も頑張らねば!

と、思いつつ、ウォーキングなさっている皆さんって、雨や雪などの天気の悪い日はどうされてるのか教えていただきたいです♪
(↑サボる気か?)






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