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『清学院』 <七まち(ななまち)歩き④> 【堺・街あるき】

前回からの続き。


阪堺線、妙国寺~高須神社
高須神社~薫主堂(北半町)
③-1『まちづくりりギャラリー&茶店 ろおじ<その1>』
③-2『まちづくりりギャラリー&茶店 ろおじ<その2>』



【MAP】
img_20.jpg 

ろおじから薫主堂の方へ少し行き、南への道を入った所に『清学院』があります。

清学院


堺市堺区北旅籠町西1丁3-13
TEL:072-228-1501
FAX:072-228-1501
開館時間:10:00~16:00(入館は15:45まで)
休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)
入館料:100円(各種割引等あり、詳しくはお問い合わせを)

反対側から

修験道の寺院としての歴史とともに、江戸後期から明治初期には仏典を求めて日本人で初めてヒマラヤ山脈を越えた河口慧海(かわぐちえかい)も学んだ寺子屋としても知られる国の登録有形文化財です。



では中へ。。。

入ってすぐに受付があり、座敷へ続く広めの土間があります。

奥に井戸があったけど、コレ使ってるのかな???



受付の奥にチラッとだけ見えるのは不動堂

不動堂には本尊の不動明王坐像を中心に弘法大師・青面金剛(しょうめんこんごう)・役行者(えんのぎょうじゃ)、そして当山派の流祖といわれる理源大師聖宝(りげんだいししょうぼう)がまつられています。
いずれも江戸時代の制作ですが、弘法大師坐像の台座には享保6年(1721年)「大坂南久宝寺町」の「大仏師橋左京」が制作したことを示す銘文が見られます。
堺観光ガイドより

建物の外側から見ると、祀られてる不動明王などの名前が掲げられています。(外からはちょっと覗けるだけの小さな穴があるだけ)

内側座敷からお堂の方へ入ることは出来ましたが、勿論写真撮影は出来ず、5つの像もカーテンの奥に納められていて見ることは出来ませんでした。



土間の所には清学院や河口慧海に関する説明書きがあります。(その一部を載せておきますので、興味ある方は拡大してご覧ください)←手抜き?
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建物の天井。

古い建物で良いなぁ、と思うのは、こういう立派な梁で支えられている事。
今ではもうこんな立派な木で梁を作るのはなかなか難しいですから。。。



座敷へ上らせていただきます~。

奥に見えてるのが寺子屋の風景。



こちらに飾られていたお雛様。

内裏雛は時代の新しい物で一般的な7段飾りの内裏雛くらいの大きさ。
それと比べるとお道具の大きさが分かるかと思います。

大きくて立派なお道具、珍しいですね。

堺らしく、こんな飾りもありましたよ。



座敷奥の寺子屋の風景。


前の3つの机や算盤、硯などは当時の物で、良く見ると机に名前が書かれてあったりします。



こちらは教科書に使われていた物。

「千字文(せんじもん)」「唐詩選(とうしせん)」や「往来物(おうらいもの)」のほか、算術に関する教科書などが使われていました。一般的な寺子屋教科書のほかにも、堺の町名や諸職(しょしき)・屋号などを通じて文字を教えるための教科書もあり、商工業者の子どもたちが多い堺の教育の特徴があらわれていて、江戸時代の堺の庶民教育を物語る貴重なものです。
堺観光ガイドより

↑写真右側の教科書には、宿院、大町、甲斐、市、湯屋、戎・・・などと書かれてあります。
これは堺の地名、今でも使われています。(一部、字が変わってるものもあります。湯屋⇒熊野など)

こちらでのボランティアガイドさんの話では、他の城下町と違って商人の町であった堺は、武士を中心とする町と違って身分・男女の差別が(他ほど)無く、例えば女子でもキチンとした教育を受けられる機会を得ることが出来たのだそうです。
古い時代からの女学校なども、今の普通高校へと受け継がれている学校があります。





昔の寺子屋の風景って、初めて見たので面白かったです。
そのまま残っているのがナカナカ貴重ですよね~。





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