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冬になると思い出す事。。。

冬になると思い出すもの…

毎年、冬になると思い出すもの(場所)があります。

それは、たまたま冬に行ったから、冬に思い出すだけなのかもしれないのだけど。。。


その場所は『アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所』
『Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau』というのはドイツ語で、占領地のポーランドに収容所を作る際にドイツ側がドイツ風(ドイツ語)で付けた名前なので、ポーランドではそう呼ぶ人はほとんど居ないそうです。


ポーランド語では『オシフィエンチム・ブジェジンガ』と言います。(Oświęcimiu、Brzezinnka)



その内容については今更書くまでもなく、あまりに有名。
でも、戦後60年以上も経ってしまうと、自然とその感覚が薄れていくのもまた事実…。

まだ1世紀も経たない歴史にこういう事実があった事を、毎年冬になると思い出せるのは、自分にとっても大事な事なんじゃないかと思います。


【ナチス・ドイツによる収容所】
Wikipediaナチスドイツの強制収容所一覧
刑務所、労働収容所から絶滅収容所まで、恐ろしい数があります。
ドイツ国内から、占領下にあったオランダ、ポーランド、ノルウェーなどにも及んでいます。



しかし、、、


オシフィエンチムがあまりに有名なためか(若しくはオシフィエンチムに目を向けさせて、
他の同様の事柄の記憶を薄れさせる操作なのか…)、他の同様の場所について触れられる事は少ないにでは、
と思うことしばしば。。。


他にもこんな場所があります。

【トゥールスレーン収容所】 (カンボジア、プノンペン)
クメール・ルージュ(ポル・ポト派)によって1975年から4年間に及び虐殺行為が行われた場所。
元、高校の校舎であったが、現在は博物館として公開されています。



【日系人の強制収容】
日米開戦後、アメリカへ移住した日本人は(日系1世、アメリカの市民権を得ていた2世までも)、大戦中、アメリカ各所(大体において気候の厳しい場所など)の収容所へ収容されていました。

詳しくはこちらを参考に…↓
Wikipedia

戦後、収容所は解放され、収容されていた日本人もそれぞれ元の場所へ戻ることを許されたが、収容される際に、身の回りの物のみの、ほとんど着の身着のまま収容され、財産などもほとんど没収されてしまっていたため、元通りの生活、新たな社会復帰の困難であったそうです。


日本人が収容されていた所では他に 『大戦中(後)のシベリア抑留』 などもあります。(こちらの方が良く知られているか…)



そうです、日本人もたくさん収容され、強制労働に借り出され、多くの命を失っているのです。

年に一度くらい、こういう事を考えてみるのはどうでしょうか…などと思うのですが。。。





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