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【ハンガリー】『英雄広場』でハンガリーの英雄たちに会う☆

Budapest

英雄広場



大天使ガブリエルが天に向かって十字架と王冠を掲げている。言い伝えによると、ローマ法王ジルヴェスター二世の前に大天使ガブリエルが現れ、イシュトヴァーンをキリスト教国の王として認知するように告げた。それはちょうど西暦一〇〇〇年のクリスマスの日だった。ガブリエルが掲げる二重の十字架は、イシュトヴァーンがキリスト教徒であったことと同時に、政治をも司ったことを意味している。
 ここは英雄広場。後ろには一八九六年にブダペストで開かれた千年祭博覧会の会場となった、緑豊かな市民公園が広がり、前方には幅の広い並木道のアンドラーシ通りが繁華街へと伸びている。広場の中央には大天使ガブリエルが、そのポールの下には実物の二倍はありそうな大きな七人の騎馬像が立ち並んでいる。
 正面に立つのがアルパード。彼の先祖はウラル山脈の辺りからマジャール民族を現在のハンガリーのあるカルパチア盆地に導き、アルパードは六人の部族長たちと共に、八九六年にたどり着いた。彼の子孫が、後に初代ハンガリー国王となったイシュトヴァーンである。馬術と戦術に長けていたマジャール騎馬軍団はドイツ、イタリア、フランス各地を荒らし回り、恐れられていたが、九五五年にアウトグスブルクでドイツのオットー大帝に大敗してからは、騎馬遠征に終止符を打ち、国家建設の道を歩み始めた。
 ザラ・ジョルジュ作のこの騎馬像は実に力強い。中でも胸を張って手綱を握るアルパードの勇姿は、誇り高きマジャール民族を代表しているように映る。
ハンガリー政府観光局HPより

英雄広場は、前に書いた記事のカワユイ地下鉄1号線(黄色ライン) のHősök tere駅を出た目の前です。

広場の中心にはハンガリーの二重になった十字架と王冠を掲げる大天使ガブリエル。




記念碑の後ろには半円形で14人のハンガリー歴代の国王や政治家。
 
一番左の二重十字架を持っているのが初代ハンガリー王のイシュトヴァーンの像。



英雄広場の十四人の勇姿

英雄広場には、14人のハンガリーの歴代の英雄の銅像が立ち並んでいる。写真右上は、記念碑の上に立つ大天使ガブリエル
 背後で半円を描くように立ち並んでいる十四人の銅像は、いずれもハンガリーの歴史を語るに欠かせない歴代の国王や政治家たち。左端が初代ハンガリー王のイシュトヴァーンである。彼は略奪を繰り返すマジャール民族に未来はないと判断し、古来の宗教を捨て、「人を殺してはならない」、「物を奪ってはならない」と教えるキリスト教に改めて、新たに国を建てた。これが、ハンガリー一〇〇〇年の歴史の始まりである。英雄広場に立つ十四人のうち八人が国王で、残る六人は将軍や政治家たち。ブダ城を建設したベーラ四世や、十五世紀にブダをルネサンスと人文主義文化の中心地としたアカデミックな王様マーチャシ、十八世紀の独立戦争の指導者ラコーツィ・フェレンツ、十九世紀のハンガリー革命の指導者コシュート・ラヨシュなどである。
 最後の十四番目を飾るコシュートは、当時、いや恐らく今日でも最も人気のあるハンガリーの英雄ではないだろうか。彼ほどハンガリーの独立を願い、生涯を自由運動に捧げた指導者はいないし、そのために彼はハプスブルクに徹底的に楯突いた。
 この広場は十九世紀末に建設が始まったため、それ以降の英雄たちは奉られていない。十九世紀末といえば、ハンガリーはハプスブルクとのオーストリア=ハンガリー二重帝国の時代。コシュートは亡命してからも、外国でハンガリーでの新たな蜂起を準備していた。ハプスブルクにとって、こんな危険人物が英雄十四人の最後を飾るに相応しいだろうか。そう、ハプスブルク皇帝フランツ・ヨーゼフがそんなことを許すわけがなかった。それどころか、彼は十四番目を自分の銅像で飾ったのだった。
 実はここにはフランツ・ヨーゼフの銅像が立っていた。コシュートはハンガリーに戻ることも許されず、亡命先で常に祖国を思いながらトリノで客死した。銅像がコシュートに入れ替わったのは、一九四八年のこと。コシュートが起こしたハンガリー革命から百年経ったのを記念して、銅像が換えられたのだった。
 フランツ・ヨーゼフの像はどこへ行ったのだろうか。行方を知る者は誰もいない。ブダペスト市民は彼の存在を町から無くしてしまった。二重帝国時代に建設されたドナウ川に架かる橋は、当時「フランツ・ヨーゼフ橋」と呼ばれていたが、市民はそれを「自由橋」に変えてしまった。社会主義時代にあっては、年輩の人々の中に二重帝国時代を懐かしむ者も多かったらしい。しかし自由主義国家となった今、フランツ・ヨーゼフを崇めるものはいない。銅像や広場、通りの名前になるのは、コシュートやラコーツィのようにハプスブルクからの独立運動を指導した人たち、あるいはハンガリーの建国者イシュトヴァーンである。十九世紀に荒れ狂った愛国主義が掲げたものは、「“聖イシュトヴァーンの国”をもう一度」だった。
 ハンガリーは、侵略と占領、支配、抑圧の歴史を繰り返し、常に苦しめられた国。十三世紀にモンゴルの襲来を受け、十六世紀半ばに侵略してきたオスマン・トルコは、十七世紀末までハンガリーを占領し、あちこちで絶え間ない小さな戦いを繰り返した。トルコから解放されるやいなや、今度はハプスブルク家の支配を受け、圧政に苦しむ。ハンガリー民謡がみな憂いを帯びているのも、そんな歴史の中で生まれた歌だからではないだろうか。
ハンガリー政府観光局HPより








また、広場の両側には現代美術館と西洋美術館があります。
【現代美術館】


【西洋美術館】

ここは行ってみたい美術館なので、別の日に改めて行きました。





広場のある向こう側にも何やら変わった建物が見えます。


何でしょう?
これも後で行ってみましょうか~。






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