byOSO001

RED★STAR、赤星☆☆☆

☆RED☆STAR☆53☆赤星☆

2000年、シドニー・オリンピックの年(この時はアマチュアでJR東日本所属)、当時阪神の監督であった野村監督に、その俊足が目に留まり、2001年、ドラ4で入団。
「新庄さんの穴は僕が埋めます!」
の入団会見でスポーツ新聞紙上を沸かせた。

野村監督は俊足の選手ばかりを集め、
F1-7(エフワン-セブン)
と命名、足を使った機動力野球を目指す。

【F1-7】
1号車・・・赤星
2号車・・・藤本
3号車・・・沖原
4号車・・・上坂
5号車・・・平下
6号車・・・松田
7号車・・・高波
(なお、秀太が入ってないのは、野村さんが『うっかり』忘れていたから、というのは有名な話。。。)
秀太も今年引退となり、F1-7は赤星の引退で全員阪神から去ってしまったことになる。


当初、打撃に問題が、、、との指摘もあったが、監督の言う通りの『足』を使ったプレーで、この年、39盗塁で盗塁王、新人王、ゴールデングラブ賞を受賞。
この後、2005年まで5年連続の盗塁王。
2003年、2005年のリーグ優勝にも大きく貢献。
2003年のリーグ優勝を決める広島戦(於:甲子園)ではサヨナラ安打を打っている。

打球が三遊間~三塁線、レフトへ飛ぶことが多いので、相手チームの守りもそちら寄りに集中。
『赤星シフト』
と言われていた。

通算381盗塁、一つ盗塁を成功させる毎に車椅子を寄付する活動を行っていた。
(寄付した数、301台)
2006年からは前任の今岡から引き継いだ選手会長にも就任。
強い気持ちと責任感でチームを引っ張っていた。

170cm(自称)、66㎏(夏場は体重が減らないように気をつけるのが大変だったとか…)の小柄でもプロでこんなに活躍できるんだ!というところを存分に見せ付けてくれ、そのためもあって(たぶん)子供のファンも大変に多い。
甲子園のスタンドを見回すと『53』のユニフォームを着た人の多さに気付く。

他球団から『最も嫌な1番バッター』『赤星を塁に出すな!』(もちろんいずれも良い意味で)と言わしめる俊足、俊足を活かした普通よりもずっとずっと広い守備範囲。
本来ならまだまだプレーできる33歳。
ホントに惜しくて残念で、まだショックから抜け出せませんが、今度は、
「赤星さんの穴は僕が埋めます!」
と言う若手、新人が出てきてくれることを切に願います。

それが赤星本人の願いでもあるのではないでしょうか?



ここのページだけでは書ききれないことがいっぱいありますが、
本当に9年間ありがとう。


まだまだ若い33歳。
これからの新たな人生も、充実した良いものになりますよう、心より願っております・





写真は甲子園及び、安芸キャンプで撮影











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